チエンマイ編 Chiengmai Site
国内線で配られる食事の箱。1999年(Amazing Thailand)のも見たい人は ポータルから入れば見れる。2001年は調味料やス パイスの絵になって載せるに値しない。 | |
2002年版になって何とも抽象的な図柄になってしまった。このままで更新がなく続いている。2004年現 在。 |
美人の産地として知られるサンカムペェーングの美女は宝石店(これも主立ったもので2軒ある)で出 会える。来店すると美女に取り囲まれるが来店後の数秒のみ。ニホン人だとわかるとニホン語の話せる 見栄えのしない店員が替わり、工場と店に誘われる。シルク、革製品、金銀、宝石、傘、ラッカーウェ アーとサンカムぺペェーング(正確にはチエンマイとサンカムペェーングの間の道路沿い、本当のサン カムペェーング村まで行くと何もない)は見学して飽きない。ただし、行ったバスとかトゥクトゥクな どにより、行く所が限られる。ドライバーとかエージェントに払われるバックマージンの関係だ。同じ 物でも工場が多数あり、店により売上の5%とか20Bとか異なるので自分に有利なところに連れて行 かれるわけだ。
どういうわけだか、インド−パキスタン紛争の地、カシミールからやって来た絨毯屋までできていた。
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休日がわかれば予定も立てれる。あたりまえだが、持っていないと困ることも多い。ベ ストフォトのネングに「持ってけ!」と数枚押し付けられた。 |
ムアンチエンマイからだと、国道107号線をメーリムまで行く途中のほぼ中間くらいを西に折れ2k mくらい進んだ所にある湖(チエンマイの海)。陸軍の管理の貯水池らしい。昔はタダだったが、工事 の後、1人につき10Bとかの入場料を取られる。水際の竹でできた露台で、ビールやメコンをソムタ ムなどを肴に涼を取るチエンマイ市民のリゾート。パヤオ湖にも同様のものがある。外国からの観光客 などまず来ない。 露台から足を湖面につけバシャバシャしているうちに、興に乗り、中に入って泳ぎ出すが、酔って溺れ る水死事故がよくあるので注意しよう。最近はマリン?ウォータースポーツ(パラセイリングとか)も やっているようだ。 |
ターペー門の内側を200mほど南に歩くとあるカメラ屋。場所柄観光客が多い。雲南華僑のネングと 陽気なサンカムペェーング出身のポムの経営。典型的メンダー(髪結いの亭主)のドケチなネングはラ ディコン狂でいつも新製品を物色している。ラディコンのカタログとかを持っていくと喜ぶ。日本人の 友人(高槻在住)がヘリコプターを買ってきた。今はデジガメとビデオに執着している。
普通のカメラ屋と違って意外なものが置いてある。防水使い捨てカメラや安物カメラ、DVビデオテー
プに、この辺は順当だが、絵はがきにバイクのレンタル。格安トラベルウォッチに格安Tシャツ。なぜ
だかソニーのビデオのバッテリーとか、ペンタックスのスライド・ドュプリケイターとかまず売れそう
もないものまで置いてある。
焼き増し料金が他店より1枚あたり0.50B安い
(一応CMしておくが、ドケチのネングではCM料金は期待できない)のは事実だが、フジ純正ペーパ
ーではなく、アグファを使っているので色が悪い。どうにも我慢ならないので、結局、日本で焼き直し
て散財になってしまった。
改装して、デジカメ焼き付けに対応している。左隣はインターネット屋だが午後から開店している。
現在は改装したので、ここにある写真は改装前。 | |
サクラの有山さんが前を通りがかったので、ペストフォトで写真を撮った。有 山さんも旧サクラが近かったため、以前はよく利用したらしい。 |
ほのぼの系のチエンマイのサイトを息子の正紀くんの名前で開いている、佐藤マ サツグさん。JJでオフ会の時の写真。毎日写真の更新があったのに、最近は月1なのがさびしいが、 有益なサイトであるのには間違いない。豊胸剤として一時脚光を浴びたガオグルアなどを製造販売して いるようだ。 |
チエンマイには英語、ドイツ語、フランス語など20あまりの無料誌が乱立している。その中で日本語 も4紙ばかりあるが、これが最初の老舗の日本語の無料誌、「ウィアンチェンマイ」をアドビの画像ソフトだけで 創刊した発行人の浦野さん。会って話をしたことがある。もともとはオリエンタルノイズという雑貨卸 の経営が本業で、最近はいろいろ手広く商売を広げているようだ。チエンマイに特化せず、クルンテー プまでひっくるめてしまって面白くなくなっている。 | |
1999年12月、ついに閉鎖された。地主から100万だか200万Bだかを要求され、とても零細 な屋台が払える金額ではなく、泣く泣く閉鎖に至ったと聞いた。かつてはサクラ の有山さんとか、 ゆみの各務さんとか常連が毎日通っていたらしい。 背景はテレサ・テンの変死(11Fプリンセスの間)で有名なメーピングH。左と右に明かりが見える のは、最後に残った1軒、メムとノックの看板姉妹など家族でやっていた屋台をチエンマイ大学に留学 中のニホン人コウさんが手伝っていた。異常に寒く、屋台を壊した廃材を焚き火にして暖を取った。今 彼らはどうしているのだろう? | |
現在は商店街ができていた。土産物やムアイタイ場、テイラーとかが並んでいる。 |
ターペー門の外に移転してから、イッサラを求めた有山さんが来なくなった時期もあったが、現在、老 後をチエンマイでとか考えるニホン人が有山さんを訪ねて毎日のようにやってくるので、その都度?で 呼び出されていたので、夕方から顔を出しているそうである。 写真は有山さんがかつて珍しく新サクラにやってきたときに捉えたショット。シーちゃんを説教してい るようである。奥で店員が心配そうに見ている。 下品な部類の常連が宇宙堂に移ったり、場所ガラもあり以前より客筋は良くなった。著名な幼女買春家 に、高千○商○大学亀山虎3郎助教授(服役後帰国)とか、山○努事件での殺害された被害者なども旧 サクラの常連だった。
歩き方のサクラの紹介記事を参照してみると、'95〜'96版と'96〜'97版とで評価がほぼ逆転している。
実は'95〜'96版のサクラの記事を有山さんに見せたのは私なのだが、有山さんは「営業妨害」だと憤慨
して私の渡した歩き方の葉書でサクラのさくら記事を投稿したらしい。それは採用されなかったようだ
が、プラス評価の投稿記事に置き換わっている。率直な意見にしてもちょっと酷いのでは。どこでも一
見の観光客に常連がいちいち気安く声をかけるわけはないと思うのだが。これをわざわざ投稿した上出
さんという人はどういう人なのだろうか?
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歩き方などで悪名の高かった丸テーブルも残ってはいるが、年寄りクラブの様相になっている。椅子が
増えてかつてのような一見さんが入りづらい雰囲気は全くなくなり、普通の食堂という感じになってし
まった。 | |
さくらに通う理由の大半はこの素麺を食べるためである。暑い時には冷し素麺とビールがこたえられな い。以前は出汁を日本から取り寄せていただけあって、ほぼ日本と同じ味で、他店より格段に美味い。 というよりも他店が余りにもまず過ぎると言った方が正しい。 | |
もう1つの見どころにさくらの掲示板がある。トイレの壁、キャッシャーの脇に名刺を貼りだした掲示
板がある。中にかつての「、「ウィアンチェンマイ」
の元編集長にして、「ワン・トゥー・チェンマイ
」の発行人のyamaachianの名刺がド真ん中にあったが、残念ながらこれをカキコした後、なくなっ
てしまった。第一、彼に会ったこともないし、敵意も持ち合わせていない。 「ワン・トゥー・チェンマイ」は廃刊になった模様。 | |
さくらには欠かせない。彼女に会うとチエンマイに来たなっと実感できるくらい重要な存在。もう彼女
も結婚して一児の母である。 | |
シーチャンと有山さんとの関係についてとやかく言うのはおかしいし、2人しかわからないし立ち入る
べきではない。しかし、2人の関係とさくらの料理のレベルについて、一部で口さがないので一言。有
山さんは「何を言われても良いが、自由を求めて別居しているだけだ。」と有山さんの言を付け加えて
おく。
2001年10月にも有山さんに会った。近頃はタイ人にも日本食はブームでタイ人の客が増えている
らしい。有山さんはまたさくらに出ている。 | |
斎藤さんの経営。名刺を貰ったが整理がつき次第掲載予定。 場所が実にわかりにくい。カッドゥアン(ワローロット)から、ナコーンピング橋を渡りゲェーンナワ ラット通りを直進する。つまりアーケードに向う道。1筋目の交差点は信号もある川沿いの交通量の多 いチャロエンラット通り。次の次あたりの筋を右折する。100mほど行くと閑静な住宅地で道を間違 えたかと思っていると右側に写真のビルが現れ到着。ウィアンチェンマイ」の地図を持って行ったのに 迷ってしまった。当方地理感は優れているとよく言われるのだが、こんな所にという所にキッチンハッ シュはある。初めて行った山水もこんな所にと思ったけど、ここはそれ以上。 1階は駐車場。ここから入ることもできる。ニホンの郊外の洒落たイタリア・レストランという感じ。 サービスもかなり良いし、お茶とかアイスクリームとかのサービスがあった。ここで日本酒でも飲んで 昼から居座ると居心地が良くて立ち上がれない。近頃のお気に入りはキッチンハッシュに山水。 以上は2年ほど前に書いた内容で、現在は下の新店舗の一軒家に移転している。詳細は下に↓。 | |
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各務さんとユパちゃんの経営。「ユミ チョクドウ」となっているのは、タイ語に「sh」音がないた めの誤記だろうが、これもご愛嬌。 ゴルフ場の前から移転した。ゴルフ好きが集まる傾向(各務さんが毎日コースを回るゴルフ狂のため) にある。ゴルフグローブなども売っている。アイコムのすぐ近くだが交流はない。店員は北チエンマイ 出身が多い。ニホンと同じ酒の肴とか結構こだわっているし、いつも空いているのもあって、お気に入 り。
チャングプアック門の近く(堀の内側、200m東)に移転した。夕方から開店。2階席もあり大きく
なった。同業者のW氏は潰れたとか言っていたが嘘である。プレ団塊・団塊の世代の老後人口増大も見
込まれる(姥捨てという者もあるが♂ばかりだ)が、ニホン失速により、チエンマイのニホン食堂は過
当競争に突入している。大晦日に行ったらお節の準備で忙しくしていた。 ゆみは2003年7月に閉店した模様。 | |
長谷川さんの経営。チエンマイについて詳しい情報サイトも開いている。インターネットカフェと書き たいところだが食事もできる食堂でもある。雲南の物産も販売している。ちょっと変わっている。ユミ のすぐ近くだが交流はないと聞いた。棲み分けているらしい。混んでいるときに行ったことがない。最 近は朝鮮焼酎の代理店をやっているらしい。日本酒も手がける。 インターネットは8月中旬現在1B/1min。これは通常価格の2倍。
イタガキ・ネットの板垣さんとの話も面白い。彼が来ると長
谷川さんとはロイクローのビアバーに昼間(ハッピータイム)に出かけビールの小瓶を1ダース近く並
べると聞いた。およそ、理解しかねる世界だが事実のようだ。飲み友達だが、住んでないので常連とは
いえないとは長谷川さんの弁。板垣さんはわざと面白おかしく書いているというが、これも納得しかね
る。あれはどう見ても素だと思う。 | |
MARKさんの奥さんの経営だった。ニホン人宿、プーカムイン・ホテルのレストラン。ホテルのレス トランだけあって、少々固苦しい。みゆきや山水ほどではないが。 ローマ字表記がイクエ(Ikue)なのは何故か?この前の経営者がタイ人でIkueでイキューと読 ませたためらしい。 MARKさんらしい人がVAIOでネットをしているのが見える。今回了承を得ていないので不鮮明な 写真を掲載している。
ところで、現在の経営者はMARK氏ではないことを明記しておく。 | |
宇宙堂、なべちゃんにナンシーの経営。左奥には古本屋、右奥はビアバー的なコーナーがあり、生ビー ルも飲める。少し前まではボーさんが旅行エージェントを開いていたが、現在は斜め向かいに事務所が 移った。 | |
宇宙堂にも丸テーブルはある。ここには歩いたりバイクでくる貧乏人か、ポルシェやヴォルヴォで通う
金持ちまでも座る(写真はポルシェとヴォルヴォの間から捉えた宇宙堂)。クリスのようなニホン食の
好きな外国人もいる。 | |
なべちゃんに名刺をもらったから掲載しておくが行ったことがないし、気に入らない板前が仕切ってい て行くつもりもないのであしからず。 |
夜になると食べ放題の客で埋まる。大勢でワイワイガヤガヤ食べるのが良い。肉を選べず押し着せの1 皿を食べたら次の皿が来るというシステムになっている。3輪の人力のサムローも見える。
アヌサンのABC(ABCはアヌサンだけではないが)とかワット・プラ
シン近くのムーカタ屋(59B)よりは量は多い。
しかし、本当のお薦めはチエンマイのムーカタ屋ではない。ウァカタ屋が盛況のようである。 |
宇宙堂にノートパソコンとラックを持ち込み間借りというか居候していた。現在は宇宙堂の斜め向かい に移っている。日本語で用が足りるというので長期滞在者の利用があるらしい。 2ちゃんねるにいろいろ書かれているが、「気にしていたらやってられない」というのが彼の言。 | |