ラオ編 Lao Site
チエンセェーンから舟でメコン河に浮かぶ島、ドンサオ島に渡った。20Bの入島料が要るが、ヴィザなし渡航で気軽に行けるラオである。キープももちろん使えるが両替所はない。観光のために土産物とかを売っているだけの島だが、ビアラオがあるのは嬉しい。缶で30Bだった。 | |
悠久の大河、メコンの褐色の流れに僧衣の橙色が映える。沐浴、洗濯、食器洗いと何でもここで済ませる。メコンの褐色の流れに人生の憂い全てが洗い流せるような感覚に襲われた。 | |
幻想の世界もつかの間。無遠慮なニホン人がシャッター音で現実に引き戻された。自分は著作権だ肖像権だの主張しているのに、平気で他人の領域に侵入していく。少なくとも、私は了解を得て撮影している。 ルアンパバンは見所が狭い地域にかたまって集中しているのでこういった同じ手合いに何度も出くわすことになる。 |
ここは観光ルートから少し離れているので訪れる観光客もほとんどない、とある寺の昼下がり、しーーっ。小僧さんはお昼ね中。仏様は全てをお見通し、静かに微笑んでいらっしゃる。 経済的には恵まれていないけれども、いつまでもこうあってほしいという桃源郷の名画を見たようだった。サマティー30分の後、起こさないようにそっと立ち去った。至福の時であった。 よく、タイフリークとラオ好きとは人種が違うといわれる。これらより最低なのがカンボジアジャンキー。経済発展によって日本からタイから消えて去ってしまっているものがここに残っている。自分の求めていたものにこのルアンパバンのとある寺院で遭遇できた気がする。ルアンパバンは人生の定点である。 | |
本堂から外に出る。陽射しが暑い。外の小屋は小僧さんの学校になっている。文字通り、寺子屋だ。英語の授業だった。ここにどこからか、ニホンの女1人が入って来た。英語で話しかけ(彼女はラオ語が不自由のようだ)、授業に加わった。
彼女にしてみれば、「うるるん〜」とかいうやらせ番組を体験したかったのだろう。小僧さんも教師の僧侶も歓迎しているようではあったが、果たしてこれは迷惑ではなかったのだろうか?写真の表情から判断してもらいたい。 |
フランスの植民地だったので、パリの凱旋門のコピーがある。パリのとは違い、セメント製の代物で(コンクリート製と書けないところがラオらしい)一言で言えば粗悪なバッタものである。本家のようなエレヴェーターなどない。もっともパリの凱旋門に行ったときもフランスらしく故障中で汗をかきかき登ったが。これはパリ編に書く予定。東南アジア好きにとって植民地宗主国は鬼畜の敵国であることを付け加えておこう。 1階が土産物屋。ここのテーブルに座っているとニホン人の観光客が話しかけてきた。国内外を問わず、ニホン人とのコミュニケーションは避けている。彼は1人旅で2度目のラオで警戒も不要だった。 ウィエンチャンではアヌサワリくらいしか見所もないので、観光客はここに集まる。だからいたるところで同じ面々と出くわす。そんなわけで、地方から出てきたラオ人の少女がしきりに話し掛けてきたのを(私は子供にはよくもてる)通訳してやった。やはり何もないラオにまで来るニホン人はまだ人種が良い。こういうニホン人だけならニホンも捨てたもんじゃないが。 さて、ラオ人の少女と彼女の姉とでアヌサワリを登る。妹は姉と結婚しろと勧めるが姉ははにかんでいる。よくあることなのできにもしなかった。彼女らは途中で休んで待っているというので、1人で上部へ。最上部への螺旋階段はトタンで覆われ工事中という感じ。普通ならここまでだがファラン(要するに毛唐)が登って行ったので負けじとトタンをめくって登ってしまった。セメント製なので崩れないかと冷や冷やものだった。 | |
そのアヌサワリの最上部から、ウィエンチャン市街を一望した。パリのような風景とはいかない。エッフェルさんの設計した鉄塔もないしシャンゼリゼもルーブルもないどころか、ほとんど高層?というより平屋の建物しかない。5階くらいの建物は中級以上のホテルで稀。 首都のウィエンチャンでさえニホンのどんな村より情けない。目抜き通りでも官邸、国立図書館でも銀行でも例外ではない。その上社会主義国で規制が厳しい。目抜き通りが雨季で川になっていたり、ラオ航空本社が50年くらい前の田舎の駅舎みたいだったり、中央郵便局のポストが休日中は柵の中で投函もできなくても驚いてはいけない。最近は爆弾のおまけまでつくらしいが。 こんな国に足繁く通うラオ好きはヴォランティアか純粋にラオが好きなのかで、果たして人種が良いのである。 | |