1章 クーデターの進行 客家政権の崩壊
2006年09月19日(火)午後 | 陸軍第3軍管区司令官サプラン・カンヤンミット中将が第1騎兵師団に出向き臨戦待機を命令。第2騎兵師団サーニット・ポラマート少将(士官予備学校10期でタクシン暫定首相と同期)が臨戦待機。第1騎兵師団が臨戦待機を一旦解除。
暫定内閣閣僚間に反タクシン派軍部の決起が避けられないとの観測。
B為替レートは当初6年ぶりの高値を更新(1US$=37B前半)、クーデタの噂で37.90Bに下がる。7週間ぶりの安値。変動幅は過去3年で最大。 |
17時 | ペンジット・パンヤワォラナシリ元官僚ら10人の文官が陸軍司令部を訪れソンティ大将(陸軍司令官)に「軍の力で閉塞した政治情勢を打破せよ。」との請願文を提出。 |
18時30分頃 | 第1特殊作戦師団所属大隊がロップリーから出発。
プレム枢密院議長が国王に拝謁。 |
18時55分 | タクシン暫定首相が当初予定の22日ではなく21日に帰国との報道。 |
19時 | 反タクシン派軍部とタクシン暫定首相が水面下で交渉。タクシンが退陣を拒否し交渉決裂。
首都防衛の主力の第2騎兵師団長が「指揮下の部隊は一切動かさない。」と明言。 |
19時30分 | 第3軍管区司令官が「指揮下部隊は平常勤務。」と発表。 |
20時 | 反首相派のソンティ陸軍司令官が、首相派のルンロート国軍最高司令官と会談。タクシン暫定首相の政界引退を要求。
プレム枢密院議長に近い軍高官が 「夕方にプレム枢密議長が国王に拝謁した。」と明かす。用件はブア・キッティヤカラの仏教儀式について。
警視庁機動隊にM16ライフルを配布。出動準備命令。 |
20時10分 | プレム枢密院議長(元首相)がプミポン国王に謁見。タクシンの政界引退に問題ないと説明か? |
21時 | 陸軍系テレビ局チャンネル5が突然通常の放送を中止し、国王賛美の映像に変わった。
タイ国軍の複数の幹部がクーデタ決行を公言。
第1特殊作戦師団(ロッブリ駐屯)所属部隊がバス数十台に分乗して首都入り。同部隊の一部(バス2台)が陸軍司令部に入る。陸軍司令部秘書官事務所への送電停止。
ネット掲示板pantip.comで、クーデタ発生についての質問が掲載。
反タクシン派の軍と警察がテレビ各局を占拠。 |
21時20分 | 陸軍将兵約20名がスコータイ宮(王子の住居)周辺の警備に当たる。
タクシン暫定首相がニューヨークからチャンネル11に電話中継の準備を命令。 |
21時30分 | タクシン暫定首相が非常事態宣言を発令。ソンティ陸軍司令官の解任を命じる。 チットチャイ暫定副首相、タンマラック・イサランクン・ナ・アユタヤ大将(暫定国防相)の身柄を拘束、タクシンの長男パントンテー・チナワットが18日より海外へ脱出済みとの情報。タクシン派が意図的に流した虚報。 |
21時35分 | プロミン暫定首相秘書官長が顔面蒼白で首相官邸に登庁。 |
21時40分 | チャンネル5の移動中継車と軍の輸送トラック多数が陸軍司令部に到着。
タクシン暫定首相がニューヨークからチャンネル9に生中継の準備を命令。 |
21時45分 | プロミン暫定首相秘書官長が大きな書類鞄を持ってチットチャイ暫定副首相の公用車に乗り首相官邸を出る。 |
22時00分 | クルングテープ市内要所を陸軍部隊が制圧。警視庁は閉門。所属機動隊の出動準備命令を継続。
CNNがクーデタ発生を速報。
タクシン暫定首相がチャンネル11に国際電話で緊急電話中継を試みるも、中継前に陸軍部隊が放送局を制圧。 |
22時10分 | 豪雨の降りしきる中、第4大隊司令部より陸軍部隊が移動開始。 |
22時12分 | M113装甲兵員輸送車装甲車やM998四輪駆動軽汎用車20台がラーマ5世騎馬像前広場に向かい、3~4台のM41ウォーカー・ブルドッグ軽戦車が首相官邸に向かう。 |
22時13分 | タクシン暫定首相、ニューヨークからクルングテープ都に非常事態宣言を発令し、チャンネル9(MCOT系列)で放送。「ソンティー陸軍司令官を解任、ルアンロート・マハサラノン大将(国軍最高司令官)が陸軍司令官を兼務する。」と発表。ソンティ陸軍司令官に解任、首相府への出頭命令。ルアンロート国軍最高司令官に緊急事態収拾命令。 |
22時14分 | 陸軍部隊が首相官邸を包囲し制圧。約50名の兵士が建物内に入り占拠。
M41軽戦車3台がプレム枢密院議長の私邸を警備。M41軽戦車2台と多数の輸送トラックが砲兵師団司令部を出発。 |
22時15分 | 多数の陸軍部隊がクルングテープ市内各幹線道路に展開。
チャンネル9(MCOT)のミンクワン・センスワン同局幹部役員が制圧部隊に拘束されたとの情報。後に本人が事実関係を否定。 |
22時20分 | 陸軍部隊がチャンネル9(MCOT)を完全制圧。軍はそのまま政府施設やテレビ局を占拠。
タクシン派のヨンユット前天然資源・環境相とネーウィン前暫定首相府相がライフルなどで武装した軍・警察部隊を率いる。 |
22時24分 | 陸軍部隊,タクシン暫定首相私邸を包囲制圧。 |
22時25分 | チャンネル3,チャンネル9以外の各局が通常放送を中止。国王賛美のビデオを放映。そのまま陸軍管轄チャンネル5の放送内容に。
陸軍部隊がウィナイ・トンソン警察少将(機動隊統監)とトライロン・イントラタット大将(陸軍顧問)の身柄を拘束。 |
22時26分 | 陸軍部隊がチャンネル9のタクシン暫定首相の非常事態宣言放送を中止させる。タクシン暫定首相が非常事態宣言3号を読み上げている途中で放送中止。放送は数分で打ち切られ、タイ国軍も警察も動かなかった。陸軍部隊が同放送局を停電させたか同放送局内で放送停止を命じたとの情報。 |
22時40分 | 地上派放送チャンネルが全て放送停止。 |
22時41分 | CNNが「地上波放送がすべて放映・放送停止された。」と報道。また、非常事態宣言の内容を報道。 |
22時44分 | 陸軍部隊が首相官邸周辺の報道関係者の拘束・排除に乗り出す。 |
22時54分 | 「タイ国特別任務テレビ放送」を通じて民主改革評議会が権力掌握の声明を全放送局から放送。
民主改革評議会(คณะปฏิรูปการปกครองในระบอบประชาธิปไตย อันมีพระมหากษัตริย์ทรงเป็นประมุข、Council for Democratic Reform (CDR))は、「国王を元首とする民主主義体制改革評議会」と訳すべきだが、「国王を長とする民主体制下の行政改革評議会」、「行政改革協議会 」、「民主体制下の行政改革団」という訳もある。
CNNとBBCが陸軍部隊の動きを報道。
陸軍部隊がクーデターの軍隊が首相府やタクシン暫定首相宅、タクシン暫定首相系のビル「チナワットタワー」(タクシン前暫定首相所有,iTVがある)を包囲し占拠。政府庁舎、放送局などを次々と制圧し、実権を掌握。 |
22時55分 | 報道関係者を帰宅させる。 |
23時00分 | タンマラック大将(暫定国防相)の身柄を拘束。 |
23時05分 | 国軍4軍警首脳が民主改革評議会の声明を読みあげ、首都周辺の平静を保つよう呼びかける。ソンティ陸軍司令官が代表の民主改革評議会(CDR)が実権掌握とテレビで発表。
在タイ日本大使館が在留邦人に緊急の電子メール。「軍の動きは活発化しており、不測の事態も予想される。」と、自宅やホテルなど安全な場所へでの待機を求める。 |
夜半 | アメリカのホワイトハウスのジョーンズ国家安全保障会議(NSC)報道官は「事態の推移を注視しているが、状況は不透明だ。我々は、タイの人々が政治上の相違を平和的な手段で解消し、民主主義と法の支配の原則にたって行動するよう求める。」と、クーデターを批判。 |
23時10分 | 陸軍系(101MHz)ラジオ放送局に対し99.5MHz局からの生中継放送命令。 |
23時15分 | 陸軍部隊30名がネイション・チャンネルが入っているネイション・タワーを占拠。
シーアユタヤ通りとラチャダムン通りにバリケードを構築し封鎖。陸軍部隊が首相官邸警備の警察部隊に武装解除を命じる. |
23時27分 | プラパート・サクンタナート少将(チャンネル5元広報官)が放送を通じて,民主改革評議会の権力掌握声明を2度読み上げる. |
23時30分 | チットチャイ前暫定副首相、プロミン前暫定首相秘書官長、ソムチャイ法務省事務次官,ドゥシット・シリワン(タクシン支持派の重要人物)の身柄を拘束。 |
23時40分 | 警察特殊部隊の武装解除。 |
23時50分 | 民主改革評議会布告(1/2549)民主改革評議会が権力奪取の正当性を説明。国家正常化のため」とクーデターの理由を発表。 |
23時55分 | UBC系のチャンネル53(CNN)を停止。NHKワールドや、CNN、BBCなどが映らなくなった。 |
23時59分 | ソンティー司令官ら民主改革評議会首脳部がチットラダー宮殿でプミポン国王に謁見。
クーデターの成功が内定。
プミポン国王とシリキット王妃に謁見する国軍3軍の司令官 → |
09月20日(水)00時28分 | プラパート少将が2006年09月19日21時09分に戒厳令が発効と発表。 |
00時30分 | 民主改革評議会布告(2/2549)プラパート少将が憲法と国会、内閣、憲法裁判所、非常事態宣言の無効を発表。軍に基地待機を命じる。 |
00時41分 | 「民主主義のための民衆同盟」代表ソンティ・リムトングクンが、混乱回避と戒厳令のため、20日17時よりラーマ5世騎馬像前広場で予定されていた大規模な反タクシン集会を延期すると発表。 |
00時43分 | プラパート少将が民主改革評議会布告(3/2549)を読み上げた。1997年憲法、国会、内閣、憲法裁判所を停止。枢密院、司法裁判所は継続して存続。 |
01時15分 | 国軍最高司令官、国軍3軍司令官が陸軍司令部で会合。 |
01時29分 | プラパート少将が民主改革評議会布告(4/2549)「権力を掌握した。」と発表。 |
02時15分 | 20日未明の国王謁見時の写真を公開。 |
02時30分 | 20日を公共機関及び銀行の休日にすると発表。この決定によりタイ証券取引所の取引も休止。官公庁幹部に20日09時にラチャダムヌン・ヌア通りの陸軍司令部まで出頭するように命令。 |
05時30分 | チャンネル5は民主改革評議会布告を繰り返し放送。
「国王を元首とする民主体制下の行政改革評議会」がテレビを通じて発表した声明の要旨」
「未曽有の社会的対立が発生し、政権の不正や汚職で状況は悪化しており、解決の兆しが見えない。国家機関や独立機関は政治的な干渉で正常な役割を果たすことができない。」「民主改革評議会は統治する意志はなく、国民に主権を一刻も早く返したい。平和と安全、国王のために実権を掌握し、戒厳令を布告した。(タクシン暫定首相の)非常事態宣言は無効とする。軍は民主改革評議会の許可なく、移動してはならない。以下を命じる。
(1)1997年の現行憲法を無効とする。
(2)上院、下院、内閣、憲法裁判所を無効とする。
(3)枢密院の役割は継続する。
(4)憲法裁を除く裁判所は役割を継続する。」
ソンティー陸軍司令官は、クーデターが国の安定のためであることを強調。タクシン暫定首相を「国王に対し不敬罪に近い言動を繰り返してきた。」、「親族企業に利権を誘導し、国民融和を阻害した。」と強く非難。
陸軍第1~4管区所属各部隊がそれぞれ国内の治安維持にあたることを発表。 |
08時00分 | 各放送局に対し、チャンネル5からの指示がない限り通常の放送番組の放送を許可。 |
08時50分 | 官公庁、大学幹部が陸軍司令部に出頭。反タクシンの汚職防止委員、チャルワンに注目が集まる。 |
09時20分 | ソンティ大将(陸軍司令官)が民主改革評議会構成員と一連の民主改革評議会布告を読み上げる。 |
09時50分 | タクシン前暫定首相が英国行きを考えているとの報道。 |
午前 | タクシン暫定首相は予定されていた国連演説を中止。 |
安倍官房長官は「このような事態が発生したことは残念で、我が国としては重大な関心をもって事態の推移を注視している。速やかに状況が正常化し、民主的な政治体制が回復されることを強く期待する。」と述べた。
在タイ日本大使館に事前に情報がタイ側から寄せられ警戒し、クーデター発生後は大使館員をクルングテープ市内に配置し、装甲車の出動などを確認させるなど情報収集をした。 |
チャチャイ副暫定首相兼法相とプロミン暫定首相首席補佐官、タクシン暫定首相の妹の夫ソムチャイ法務次官、プリン・スワンナタット少将及びサーニット・プラホマート少将の身柄を拘束。ソンティー陸軍司令官は「身柄の拘束ではなく出頭の要請である。」と説明。 |
10時40分 | 民主改革評議会布告(5/2549)学生の政治参加。
(6/2549)労働者・農民の問題。
(7/2549)政治活動の禁止について 5人以上の政治集会禁止。
(8/2549)分乗値上げや売り惜しみの禁止。
(9/2549)外交政策について。
(10/2549)報道機関への協力要請。 |
10時52分 | 民主改革評議会命令(5/2549)情報通信技術省に反クーデタ的な扇動活動や情報の流布の監視命令。情報通信技術省は放送局幹部を呼び出し、テレビやラジオで政治に関する市民の意見を流さないよう要請。ウェブサイトの管理者には政治に関する意見の投稿を削除するよう求める。新聞は対象外。 |
11時 | 民主改革評議会布告(11/2549)民主改革評議会(国軍3軍司令官、国軍最高司令官、警察長官など6名で構成。)の首脳任命。 |
13時 | 反クーデタのハンストを実施していたチャラート・ワォラチャット、タウィ・クライクップ元下院議員ほか数名の活動家が5人以上の政治集会を禁じる民主改革評議会布告違反で逮捕される。 |
13時30分 | 陸軍司令部で、日本を含む駐タイ大使ら43ケ各国の外交関係者らに事情説明。
ソンティー陸軍司令官は「当面、暫定首相を務めるが、2週間以内に暫定新憲法を制定したうえ文民政権に権限を移譲、1年以内に新憲法が制定し総選挙が実施する。」との見通しを示す。
暫定新憲法では、1997年憲法の問題点として指摘されていた、同一政党に90日以上所属することを下院選挙の立候補条件とすることや、議員資格として学士号が必要といった点などの改正が含まれている。 |
14時 | タマサート大学の学生生グループが反クーデタ集会を開催。 |
14時過ぎ
(現地時間03時過ぎ) |
タクシン前暫定首相が空港に向かい、ニューヨークをチャーター機で出発。「私は首相としてここに来たが、無職の男として去ることになった。(国のために)働くつもりはあるが、誰も仕事をくれないだろう。」
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18時 | 民主改革評議会布告(12/2549)会計検査院を廃止。チャルワン・メンタカOAG総裁が職務代行。 |
夕刻 | プミポン国王はソンティー司令官が、軍や警察のリーダーによる「民主改革評議会」の議長となり、タクシン暫定首相に代わる暫定首相に就任することを承認。やり直し総選挙で勝利し続投を狙っていたタクシン政権は、2001年02月の第1次内閣発足以来、5年7ケ月で崩壊。
タクシン政権の崩壊と非常事態宣言の無効が確定。 |
ソンティー陸軍司令官は「誰も我々の後ろにいないし、我々は我々自身で決め、人々が求めた政府の不始末の処理をした。」、「タクシンはタイ人で同胞である。彼が帰国すると決めるのは全く問題はない。我々は兄弟のように似ている。」と発言 |
ヨンユット前天然資源・環境相とネーウィン前暫定首相府相は、抵抗を断念。 |
NHKワールドや、CNN、BBCなどが映るようになる。 |
タイ証券取引所(SET)は命令により臨時休業。シンガポール市場に上場している酒造最大手タイ・ビバレッジ(THBEV)は前日比3.45%下落。 |
金融政策をめぐり、タクシン政権としばしば対立していた、プリディヤトン・タイ中央銀行総裁は、首相候補として名前が挙がったが、シンガポールからの帰国後、ドンムアン国際空港での記者団の質問に応じ、就任の報道を否定。 |
21時半 | 民主改革評議会命令(9/2549)ネーウィン・チットチョープ前暫定首相府相、ヨンユット・ティヤパイラット前天然資源・環境相の召喚の方針。21日正午までの出頭を命令。 ネーウィンは、タクシン側近として反政府的なマスメディアを規制。親タクシン的メディアネットワーク構築。ヨンユットは、20日に予定されていた反タクシン集会を弾圧するため、森林警備隊に動員令を出した。
バンコクポストによると、今回の軍事行動の直接のきっかけが、20日に予定されていた市民グループ、民主主義市民連合(PAD)による反タクシン集会。政府がこの集会の阻止のため、東北部のカオヤイ国立公園に駐在する森林警備隊を動員し、予想される反タクシン、親タクシン・グループ間の流血沙汰を避けるため、軍部が行動を起こしたという見方がある。
民主改革評議会布告(13/2549)選挙管理委員会を存続し、5名の委員も留任。 |
23時半過ぎ
(現地時間17時半過ぎ) | ロンドン郊外のガトウィック空港に到着。約1時間後、業務用ゲートから警察の車に先導され、空港を後にする。長女ピントーンター・チナワット(Pintongta Shinawatra)がロンドン大学に通っており、ロンドン郊外のケンジントンの豪華アパートの別邸で生活。
事実上の亡命。2001年に誕生したタクシン政権は外遊中のクーデターで崩壊。 |
09月21日(木) | 為替や株価に大きな変動はなく、「投資に与える影響はないだろう。」(プリディヤトン・タイ中央銀行総裁)と楽観。日系メーカーも通常業務。 |
民主改革評議会布告(14/2549)議会会計監査院の存続。
(15/2549)2541年政党法の存続。政党活動の禁止。
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タクシン前暫定首相よりの警察官僚が更迭される。ジュムポン・マンマイ警察大将(国家情報局長)、ピラパン・プレムプティ警察少将(首相府政務次官)、プリヤオパン・ダマポン警察大将(国家警察副本部長)、チャロ・チュウォン警察中将(国家警察本部長補佐)。 |
昼 | ヨンユット前天然資源・環境相とネーウィン前暫定首相府相が陸軍本部に出頭。 |
09月22日(金) | ソンティ民主改革評議会議長の親任式。 |
タクシンが進めた村落基金、国民皆健康保険、SML村落予算などが廃止されるとの風説流布。民主改革評議会が否定。 |
民主改革評議会布告(19/2549)国家汚職防止取締委員会を存続。パンテープ・グラナロンランを委員長。 |
ケーブル局から配信されるCNN, BBC, CNBC, NHKの各局のタクシン前暫定首相に関する報道内容が検閲。300局以上のコミュニティ・ラジオ局(タクシン政権の宣伝機関)が放送停止。 |
「9月19日ネットワーク(เครือข่าย 19 กันยา ต้านรัฐประหาร )」、「人民連合党」などがチュラローンコーン大学教員チャイ・ウンパコンとともにサイヤム・パラゴン前で反クーデタ集会。参加者数は20~100人?インディペンデント紙によれば、この集会で参加者の女子学生1名が公安に連行。 |
昼 | タクシンの実弟のパヤップ・チナワット(Payap Shinawatra)はクルングテープからチエンマイへの飛行機が到着後すぐ軍隊に拘留されたが、やがて解放。民主改革評議会は事実関係を否定。タクシンの妹の ヤオワパ・ウォングサワット(Yaowapa Wongsawat)、ヤオワレット・チナワット(Yaowaret Shinawatra)とインラク・チナワット(Yinglak Shinawatra)は 海外に逃げたと思われる。 |
09月23日(土) | 民主改革評議会命令(13/2549)プラパン・プレムプット警察少将(内閣官房長官)を解任。ロンポン・ジャルンパン内閣秘書官長が職務代行。 |
当初、タクシンは金持ちや有名人がよく出没するので有名なドーチェスターホテルで見かけられ、反クーデターを計画。MI5の情報部の護衛付きで、パークレーン55(ロンドンW1)に滞在中。ここは親友のハロッズのオーナーのモハメド・アルファイドの所有。長女ピントーンターの住むケンジントンの豪華アパートの別邸には行かなかった。 |
タクシン前暫定首相がソンティ民主改革評議会議長に電話。自身の一切の政治活動の中止を表明。帰国は次期首相選出後と説明。 |
09月24日(日) | 民主改革評議会布告(21/2549)通信傍受(盗聴)を禁止。 |
国家汚職防止取締委員会、クーデタ後初会合。タクシン政権の元閣僚全員に個人資産を同委員会事務局(サラウット・マナサウェート事務局長)に報告するよう命令。 |
民主改革評議会布告(23/2549) 前内閣承認事業計画不正調査委員会を設置。スワット・チョークパニットを委員長に任命。 |
スダラット・ゲユラパン、タイラックタイ党副党首、フランスより帰国。国連事務総長候補で副党首でもあったスラキアット・サティヤンラタイ前副首相(元外相)が離党。 |
09月25日(月)01時30分 | タクシン夫人のポチャマン・チナワット(Potjaman Shinawatra)がTG910便でロンドンに向かう。長男パーントーンテー・チナワット(Panthongtae Shinawatra)と次女ペートーンターン・チナワット(Paetongtarn Shinawatra)はタイ国内に残った。
タクシン側近の1人、ネーウィン・チットチョープ総理府相とともにシンガポールに脱出後、ロンドンでタクシン前暫定首相と合流したというのは意図的に流された虚報。タクシン夫人のポチャマンはクーデター時には、都内パホンヨーティンにある隠れ家に一時身を隠し、サイアム商業銀行、バンコク銀行、タナチャート銀行にあるテマセクへのシン社売却益の500億Bの財産を管理していたが、トンブリ、バングプラット、チャランサニットウォングのソイ69の邸宅に戻って、2人の子供と合流。軍隊と警察に護衛された。 |
「タマサート大学ドームデン会」(ウィチェン・チェンセン代表)、「チュラローンコーン大学自由学生同盟」ほか都内主要大学の学生50名がタマサート大学で反軍・反クーデタ集会。 |
09月26日(火) | 民主改革評議会は民政移管に向けた暫定憲法案が完成と発表。
新憲法は新政権の発足から8カ月余りで制定できるとの見通しを示す。民主改革評議会は民政移管後も「国家安全保障評議会」(คณะมนตรีความมั่นคงแห่งชาติ 、Council for National Security (CNS))として存続。
新首相を指名し各層の代表2000人から成る国民会議が設立。その中から選ばれる約200人が新憲法案の起草。新憲法案は最終的に国民投票にかけられ、賛成が得られれば新憲法下で総選挙が実施。 |
チャンネル9を運営するMCOTのミンクワン・サンスワン社長が辞任を表明。チットナロン・クナクリダティカン副社長が社長代行。 |
ウィサヌ・クルアガム(タクシン政権で副首相)とウォウォンサック・ウワンノ内閣官房室長が民主改革評議会の任命した暫定憲法起草法律顧問を辞任。/TD> |
民主改革評議会、経済、外務、社会各部門の顧問団を設置(総勢58名)。 |
09月27日(水)02時 ~02時半 | カンペンペート県の学校5校での間に放火。被害総額は160万B。カンペンペート県はタクシン首相のタイラックタイ党の支持者が多く、国会議員5議席全てがタイラックタイ党の議員。 |
チュラローンコーン大自由学生同盟が政治学部で反クーデター討論会開催。チャイ助教授、プラパート・ピントップテン助教授などの一部教員も参加。 |
チエンマイ大学民主学生ネットも討論会を企画。公安が集会の中止を促したため散会。 |
09月28(木) | 米国政府はタイの軍事クーデターが不当なものであるとして、年間2400万US$の軍事援助の削減、軍事訓練および教育、平和維持活動、反テロ対策などの停止を含む制裁措置を発動。
米国の犬、アナン国連事務総長もクーデターを厳しく批判。 |
タクシン前暫定首相に近いスラシット・サンカポン警察少将が政府宝籤局長を辞職。 |
ソンティ大将がスラユット大将を訪問。スラユット・チュラノン大将(枢密院議員)が暫定首相に内定の模様。 |
09月30日(土)06時頃 | タクシー運転手が、戦車に体当たり攻撃。 都内ドゥシット区内にあるラーマ5世像前広場前ロイヤルプラザの近くに停車していた戦車に、車体に大きく「国家に対して悪事を働く輩へ鉄槌」、「民主主義のために命を捧げる」などと書かれたタクシーが激突。タクシー運転手ヌアムトン・プラワン(60)が肋骨を4本折る重傷。戦車に被害はなかった。
穏やかではない文言が大書されたタクシーの事情聴取を行おうとしたところ、タクシーが急発進し一直線に戦車に激突。病院に搬送されたヌアムトン運転手は警察に対して、「国家に多大な損害を与えた民主改革評議会に抗議するため、敢えて激突した。車に書かれた文字は自分でスプレー書きした。」と証言。 |
民主改革評議会布告(27/2549)政党法違反により解散を命じられた政党の執行委員に対し5年間の選挙権・被選挙権取消措置。 |
民主改革評議会、事業計画不正調査委員会の構成に批判が殺到したため、民主改革評議会布告(23/2549)を廃止。民主改革評議会布告(30/2549)新委員12名を任命。 |
08月24日のタクシン暗殺未遂事件の容疑者を釈放。クーデターの翌日に暗殺未遂の証拠は警察から消えてしまっていた。 |